top of page

COLUMN

記事

建築家にとって家族の存在とは?



大好きな映画の一つに邦題で「ルール・オブ・デス/カジノの死角」という映画があります。多分そんなに売れた映画ではないと思うので、知らない人も多いのではと思います。


映画はロンドンが舞台で、腕利きのカジノディーラーが、様々な理不尽で不合理で薄汚れたカジノとそこに出入りする人々との関係を通しやるせない気持ちになりながらも、その世界から抜け出せないでいる自分と葛藤するストーリーが展開します。主人公のディーラーは、教師を勤めるガールフレンドと小さな半地下のアパートで同棲し、将来の夢も描けないまま、悶々と日々時間をつぶすように暮らしています。


普段はもの静かなガールフレンドが何かのきっかけで主人公と喧嘩になり、やるせない思いをぶつけ合った結果、「結局わたしはあなたにとって、何なのよ!」とキレる場面があります。


そんな彼女のやるせなさと、自らの葛藤と、抜け出せないもどかしさがとうとう爆発する形で、主人公はガールフレンドに対し、「You are my consciene!」と叫ぶシーンがあります。「お前は俺にとっての良心なんだ!」と直訳されますが、これは薄汚れた社会で生きながら、絶望を感じ、すべてのものが汚らしく思えてしまう中、本当の清らかなもの、素直でひねくれていないものとして、自分が大事にしたいと思っているものを彼女に見出しているという意味だと思います。


ゴッドファーザーの中でも、どんな汚い仕事をしていても家族の前では父親として夫として振る舞えというくだりがありますが、なんとなく同じような意味なのでしょう。


いつの世の中でも、理不尽や、不条理や、やるせない絶望感は社会にあふれている気がします。それにわざわざみんなで立ち向かわなくてもいい、家族という綺麗なものは綺麗なままでいて欲しいという気持ちはよくわかる気がします。

Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating

© nakajima llc. All Rights Reserved.

bottom of page